アラサー女が人生をばくちに賭けるとこうなった

人生をばくちに賭ける想いでデンマークへ旅立った三十路目前女子の赤裸々ポジティブダイアリー

【2022年最新】ベルリンで就労ビザ取得の攻略方法

ドイツ、ベルリンにやってきて早4年。
今まで何度、ビザ更新や海外生活についてのまとめブログにお世話になったことか。

とうとう私も経験談を記すことを決意した。

この情報が少しでも誰かの役に立つこと祈って・・

 

さて、就職活動を始めてから幾つもの企業からお祈りメールをもらっていた私だったが、

2022年3月末日、念願の採用通知をいただいた。

契約書を手にし、ほっとしたのも束の間、

フリーランスビザから就労ビザに切り替えるという難題が待ち構えていた。

 

いつものように予約を取ろうと移民局のサイトへ行ってみると・・・

otv.verwalt-berlin.de

 

ぜんぜんつながらない。

何回クリックしてもびくともしない予約ページがそこにはあった。

(追記:2022年8月からは繋がったようです)

 

どうやらウクライナから大勢の難民が申請にやって来ているようで、

予約ページは封鎖状態になっていた。

 

仕方がないのでメールを送ることにした。(このときの就労ビザの担当部署はB1/B2)

しかし、何週間経っても返事がこないではないか。

この時点でもっと危機感を持っておくべきだったと後々後悔することになる。

 

【POINT その1】リマインドメールは毎週送ること

待っていれば来るは大間違え。催促しても来ない。

 

3週間後、再度メールを送ってやっと返事がきた。

移民局より

「必要書類を送付ください。書類確認後に面談の予約を取ります。

 尚、このプロセスには2〜8週間かかります。」

 

【必要書類は以下のとおり】

  • 有効なパスポート
  • 雇用契約
  • 大学や専門学校の卒業証明書
  • 写真付き健康保険証
  • 健康保険加入証明書(文書で発行されるもの。Webのアカウントページで確認できる場合がある)
  • 住民登録票
  • 賃貸契約書
  • 賃貸を証明するもの(銀行の引き落とし履歴など)
  • 申請書(会社からのサインが必須)
  • 追加で、現在の職種に関連性のある分野で働いていたことを証明するために以前の職場での雇用契約書を添付しました。

 

【POINT その2】会社からのサインはその場で直接書いてもらう

「あとでやっておく。」は一生やらない。

 

私の場合、申請用紙の記入を人事部にお手伝いして貰おうとするも、

のちに担当者が病欠になり、申請用紙にサインを貰うまでに3週間もかかってしまった。

 

移民局に書類提出を求められてから1ヶ月後、ようやく全部揃い提出完了。

数日後、「不足している書類があるので提出して下さい。」と返信があった。

 

【追加の必要書類】

  • 日本の大学卒業資格とドイツの大学卒業資格との同等性を証明するもの

こちらのサイトで取得できるようです

anabin: Anabin - Informationssystem zur Anerkennung ausländischer Bildungsabschlüsse


 

翌日に提出。

そして気がつけば、一寸の音沙汰もなく1ヶ月が経過していた。

8週間かかると言われたけど、さすがに遅くないか・・?

 

リマインドメールを送ってみるが返事なし。

さらに2週間後、2度目のリマインドメールを送った。

そして、その2週間後にようやく返事が届いた。

 

移民局より

「同僚が尋ねた追加書類がまだ届いていないようです。」

 

なんだと・・・?

 

いや送った、確実に送っている。

思ってもみない返信が来たので呆れてひっくり返りそうになった。

そうだ、ここはドイツだった、と自分に言い聞かせすぐに書類を再送付した。

 

2週間後、返信があった。

移民局より

「労働局へ書類を転送しました。返事がくるまでに8日〜2週間かかります。」

 

事はようやく動き出したのだ。

最初に移民局に連絡を取ってから、すでに5ヶ月が過ぎようとしていた。

 

今となってはタラレバだが、毎日でもリマインドメールを送るべきだったのかもしれない。

悲しい事にここドイツでは、忍耐や遠慮などという日本人特有のアイデンティティは一切役に立たない。

 

そしてまもなく、労働局から会社の人事部に連絡が入った。

労働局より

「大学での選考科目と現在の職種の関連性を教えてください。」

 

【労働局からの問い合わせは以下のとおり】

  • 仕事内容の詳細
  • 1週間の労働日数
  • 卒業した大学のモジュール(選考科目の詳細)
  • 仕事内容と大学の取得科目の関連性

 

【POINT その3】辻褄を合わせる

なぜ他の誰でもない自分(外国人)がドイツで働く必要があるのか、プレゼンテーションをしなくてはならないのだ。

 

私は日本の美大を卒業しており、採用部署と学部が結びつかなかったのでこのような問い合わせがあったのかもしれない。

納得させるようこじつけをして、問い合わせ内容をWordでまとめて提出した。

(ドイツ人ではなく、日本人を雇う必要があるという説明も加えた)

 

それから2週間後・・・

移民局から返事がきた。

 

「ビザの準備ができたので受け取りにきてください。」

 

 

キタ―――(゚∀゚)―――― !!

 

 

【必要書類まとめ】

  • 有効なパスポート
  • 雇用契約
  • 大学や専門学校の卒業証明書
  • 日本の大学を卒業した場合、ドイツの大学卒業資格との同等性を証明するもの
  • 写真付き健康保険証
  • 健康保険加入証明書(文書で発行されるもの。Webのアカウントページで確認できる場合がある)
  • 住民登録票
  • 賃貸契約書
  • 賃貸を証明するもの(銀行の引き落とし履歴など)
  • 申請書(会社からのサインが必須)
  • 仕事内容の詳細
  • 1週間の労働日数(フルタイムでない場合)
  • 卒業した大学のモジュール(選考科目の詳細)
  • 仕事内容と大学の取得科目の関連性
  • 追加で、現在の職種に関連性のある分野で働いていたことを証明するために以前の職場での雇用契約書を添付しました。

 

ふぅ・・これだけ揃えれば怖いものはないと思いたい。

 

 

後日談

最後の最後まで気を抜かぬまいと、もしもの為にドイツ語通訳の方をお願いした。

しかし、予約当日・・・

乗り換えを間違え、電車に乗れずタクシーを手配するも5分の遅刻。

通訳の方と階段を駆け上がり息を切らしながら待合室に着くと、

「ピロリン」

丁度私の予約番号が表示された。

動悸と呼吸を整えつつ指定の部屋へ、、

 

受付のお姉さん「Deutsche or English?」

 

英語通じるんかーーーーーい

 

メールで問い合わせていたフリーランスとして副業ができる許可も付いており、ビザを受け取るまでほんの30秒。

こうして私のビザ取得は呆気なく幕を閉じた。

移民局から外へ出ると気持ちの良い秋晴れで、肌寒い風が頬を横切った。

(いや、手続きはじめてから春と夏終わったぞ)

 

これから試練を控えてる方へ

書類さえ完璧に揃っていれば、怖いものは待たされる時間のみです。

検討を祈ります。

消えた30ユーロ

 前回のつづきより

「ATMで引き出したはずの30ユーロが財布に入ってない!?」

 

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私の頭の中は冬のゲレンデ以上に真っ白になった。

しかしあっという間に雪は溶け、

 

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ATMに何しに行ったのでしょうか。

暗証番号を入力してカードを取り出した後、

お金が出てくるというメインパートをフルシカトしてました。

ひとつ言い訳をさせて頂くと機械の反応がものすんごく遅いんです。

たまに機械じゃなくてネジで動いてんのかなって思いますよね。

 

 

 

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この国に”お・も・て・な・し🙏🙇”が通じないことは百も承知だったのでATMに戻ることはせず、

「見知らぬ誰かに小さな幸せを届けたんだ」と自分自身をマインドコントロールすることに徹した。

更に動揺を隠すため「私ぜんぜん気にしてませんよ。」風を装ったが、きっとバレバレだったに違いない。

 

その日は取り憑かれたように「今日ATMでお金置いてきちゃってさ(笑)」と

会う人会う人に報告していた気がする。

笑い話にして忘れようと思ったのに、みんなリアクションに困っていて逆に申し訳なかった。

 

 

結局ぜんぜん心にしがみついたまま、翌日も失った30ユーロの事を引きずっていた私は勤務先のカフェで抹茶を点てていた。

 

 

すると・・・

 

 

 

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つづく

ご無沙汰しております。

〈はじめに〉 

 

気がつけば年が明け、夏が終わっていた。

 

私は元気です。

 

 

つくづく自分の怠慢さに嫌気がさすが、前回の更新から特にめぼしい出来事は起こらなかった。

 

現地でのワーキングホリデー申請も何事もなく終わり、

(ドイツ語が喋れないと相手にして貰えないとか噂あったけど普通に英語通じた)

つい先日はフリーランスビザの申請があり、こちらも何事もなく終わった。

(取得がめっちゃ難しいとか噂あったけど普通に取れた)

 

今は「あと2年ドイツに居てもいいよ」とお許しが出ている状態。

2年後どうなっているかまだ分からないが、

確かなことは大殺界と厄年にW突入するということ。

ヒエエェェェェェエエ

どうか無事でありますように。

 

 

本題に入ります。

 

ATMでお金を引き出したときのこと。

 

 

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数分後お財布を開けると・・・ 

 

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 つづく

 

●ベルリンに浮気する その1

前回のブログでチラリとお伝えしたが、現在私はベルリンにいる。

 

通常運行でさえも「まあ、なんとかなる」と思って生きてきた私だったが

Kunsthøjskolen i Holbækでのデンマーク人との共同生活が

私の「なんとかなるっしょ」精神に更に拍車をかけていた。

 

それでも学校から追い出される1ヶ月前に少しずつ危機感を持ち始め・・

 

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選択肢を以下の2つに絞った。

デンマークのアニメーション学校へ行く

②ベルリンでワーキングホリデーをする

 

ここでいきなりベルリンが選択肢に浮上。

実はこの頃、学校の修学旅行でベルリンへ行き、その物価の安さと娯楽の多さ、更にはケバブの美味しさに魅了されて帰ってきたばかりだったのだ。

北欧ライフに憧れてやってきたのに、ドイツへの引っ越しを考えるという本末転倒ぶり。

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どちらか縁のあるほうに進むだろう、と同時進行で準備を進めることに。

万が一どちらとも縁がなく住む家がなくなったとしても安宿に泊まって考えればいいや、と呑気に考えていた。

 

アニメーション学校への出願準備をしつつ、片手間にベルリンでの家探しを始めた。

「海外での家探しはすごく大変」という噂だけは聞いたことがあっても、初心者の私は何をどうしたらいいのかさっぱり。

すぐさまGoogle先生の力を借り、既に茨の道を歩んで来た先人達のブログで情報を集め実行に移した。

しかし家探しの方法は限られており、

MixB(海外に住む日本人専用の掲示板)に書き込んだり連絡をしてみたり、

Face bookの家探しグループに入って投稿をチェックしたり書き込んだり、そして放置するという忍耐が試されそうなものだった。

 

「これで見つかったら奇跡だな・・」

と半信半疑だったが、1週間も経たないうちに1通のメールが・・・

 

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こんなに早く連絡が来るとは思ってもみなかった。

一人暮らしをしているドイツ人の大家さん(推定60代・女性)がマンションの一室を貸しているらしく、

連絡をくれたのはそのお部屋に住んでいる日本人の方だった。

 

 

 

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しかも名前が一文字違い!??

 

私の名前が

◯◯◯ ◯◯

とすると、

メールをくれた方のお名前が

◯◯◯ ◯◯◆

という訳だ。

 

嘘だろう!!???

よくある苗字だけど、、こんな偶然あるのか・・・

実は詐欺なんじゃなかろうか・・・

 

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現在ベルリンでは家探しが困難で詐欺が多発しているという情報をネットで見たばかりだったので、

大変失礼ながらも心底疑っていた。

それくらい好物件だったのだ。

 

しかし私の心配は全く無用でそのお家は実際に存在し、

連絡をくれた方も大家さんも心優しい良い人達だった。

 

そのあともトントン拍子に事が進むことになる。

 

 

※実際に詐欺被害が多発しているので海外物件探しはご注意ください!

私は、家の存在を自分の目で確かめ大家さんに会うまではずっと疑っていましたがそれくらいのほうが安全です!

お金の支払いは最終段階です。

ただ、露骨に態度に出してしまうと大変失礼ですのでご注意ください。

 

 

【事件】頭の中が空っぽになる

もう夏が終わろうとしているではないか・・・

 

さて、 何ヶ月も放置してしまったこちらのブログだが

早速言い訳をさせてほしい。

どうやらデンマークは時空空間が日本とは違う異世界だったようだ。

 

 

 

私のデンマークでの生活パターン①

 

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私のデンマークでの生活パターン②

  

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私のデンマークでの生活パターン③

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このような生活を送っているうちに月日はあっという間に過ぎていき

知らず知らずのあいだに私の頭の中はすっからかんになっていた。

これぞ史上最強の"幸せボケ"だ。

因みに5kg増量という”幸せ太り”も同時進行していた。

 

こ、このままではいかん・・!

全財産を賭けた憧れの北欧生活が食っちゃ寝だけで終わってしまうぞ・・!

 

幸せな国デンマークに危機感を感じた私は、気がつくとベルリン(ドイツ)へ来ていたのだった。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

■パーティーという名の試練

学校が始まり、最初の週末にパーティーが開かれた。

 

パーティー・・・それは日本人にはまったく馴染みのない文化。

でも私は知っている。

パーティーでは人々が狂ったよう酒を飲み踊りまくることを。

 

それはインドアな私にとって、とてもハードルが高いイベントである。

周りのデンマーク人が楽しみにしている横で温度差の違いをひしひしと感じていた。

更にこの学校では毎パーティーごとにテーマが設けられるらしく、そのテーマにそったコスプレ&出し物(宴会芸)をしなければならないらしい。

なんて余計なオプションなのだろうか。

 

今回のテーマは「60年代」。

私たちブルーファミリー(※ここは寮生活をしながら美術が学べる学校で、部屋がある建物ごとに色分けされている)はビートルズの出し物をすることになった。

パーティー当日、怒涛の入国からやっと迎えた週末でようやくのんびりできると思いきや早々に準備に駆り出された。

どうやらイエローサブマリンの黄色い潜水艦を作るらしい。

途中「ジャパニーズポップミュージックを流して!」という無茶振りにより、

S◯APを流すと盛り上がらず、P◯rfumeを流すと盛り上がるという発見がありながらも

ゴミ箱から拾ってきたダンボールをつなぎ合わせて作った潜水艦は、パーティー開始時間のぎりぎりで完成した。

 

そしてもう一つの難題。

”60年代=ヒッピーのコスプレ”

え?ヒッピーって言ってもマリファナしか思いつかないよ・・?

そう思いつつも持ってきた服で頑張って成りきってみるものの、

お酢で髪を洗っていそうなオーガニックな人みたいになった。

 

部屋を出るとみんな玄関に集まっており、いきのいいねえちゃんが故郷の酒を振舞っていた。

いきなりわけのわからないアルコール度数の高いショットを浴びせられむせていると、「これであなたもジョンレノン」と言わんばかりに針金で作られた眼鏡のようなものを渡され、周りを見渡せばみんなそのお手製の眼鏡をかけてアホっぽいジョンレノンになっているではないか。

 

残りのメンバーは完全無視。

 

そこへお気に入りのイケメンがやってきたので、ほろ酔いになった勢いで昨日必死に練習したフレーズを話しかけてみたのだが、、、あとで鏡を見ると、、、

 

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こんな顔してもじもじと恥ずかしがりながら話しかけていたなんて・・・

あいつ、よく返事してくれたな・・

そう思ったらますます彼がイケメンに見えた。

 

会場へ着くと、長机が並べられ宴会場ができあがっていた。

skål〜!(乾杯)」

の掛け声と共に、飲み食いしながら宴会芸を鑑賞するという割と馴染みのあるパーティーがはじまった。

そして私たちの出番。

イエローサブマリンの曲が流れだし、数時間前に完成した潜水艦と共にステージへ。

 

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みんな笑っていたので成功したのだと思う。

デンマーク人は笑いの沸点が低いのでとても暖かい場を作りあげてくれるのだ。

 

一通りの出し物が終わると、そさくさと長机を片付け始める人々。

ま、まさか、、、、、、、、、

いよいよあれが始まるのか、、、、、

 

予感は一寸のブレもなく的中し、宴会場はあっという間にダンスフロアに変わっていた。

周りを見渡すとみんな踊り出している。

パーティーの本番はこれからだ。

戸惑いつつも、やけくそになって踊るジャパニーズヒッピーがそこにいた。

 

 

 

 

▲幸先不安

おまたせいたしました!!!

 

やっと、やっと、、いざデンマークへ・・!!!

 

 

そんな高鳴る気持ちを抑えきれない私を乗せた飛行機は2時間遅れでパリを出発。 

着陸体制に入る機内で事前予約をしていた電車の時間が刻々と過ぎていった。

 

さようなら、無駄になった切符・・・。

 

出発もなかなか決まらなかったし、←ほぼ自分のせい

飛行機は遅れているし、

私、デンマークに嫌われてるのかな・・?

空の上からデンマークを目の前にし、急に不安な気持ちに襲われた。

 

しかしふと顔をあげると、窓の外には雲ひとつない青空が広がり、

気ままに浮遊する気球が夕日に照らされていて、

なんとも美しい景色が目に飛び込んできた。

「これぞ夢にみた北欧ライフ・・まだ始まってないけど。」

その瞬間私の不安はどこかへ吹っ飛び、一気に歓迎されている気持ちになった。

何せデンマークの冬は晴れている日が数日しかないと聞いていたもので・・・

(のちのち過ごしてわかったことだが、冬でも割と晴れている日が多い。でもくそ寒い。)

 

デンマークの晴天ありがとう!

よーし! さっさとスーツケースを拾って学校へ向かうぞーっ!

 

18時までに学校に到着する必要があったのでなるべく早く空港を出たかった。

しかし、待てども待てども私のスーツケースは現れない。

 

まさか・・これは・・・

 

 

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あれ・・?やっぱりデンマークに嫌われてない・・?

 

どうしたらいいかわからず、インフォメーションらしきものも見当たらず、係員らしき人も見当たらず、放心状態のまま到着ロビーを出てしまった。

この行動がのちに自分自身を追い詰めることになることも知らずに・・・

 

ゲートを出るとインフォメーションのサインが出ていたので、神にすがるような気持ちでそこを目指した。

しかし状況を説明すると、神とは思えない態度で、

 

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どうやら到着ロビーから一歩でも外へ出てしまうと、二度と中へ戻れないらしい。

なにその恐ろしいルール・・出口に書いておいてよ・・・

 

そして彼は眉間にシワを寄せたまま

「ミーティングポイントに行けば別の係員が来るから待っていなさい」と言い放った。

 ”ミーティングポイント”ってなんだよ・・・と思いつつも

言われた通りに向かうと、そこには”Meeting Point”と書かれた看板があった。

きっとここだろう・・と安堵したのもつかの間、係りの人が一向に現れない。

 

待てども待てども現れない・・・

刻々と時間は過ぎていく・・・

やきもき・・やきもき・・・

 

空港に着いてから何時間経過したのだろうか・・泣きたい気持ちを押し殺し、

いても立ってもいられなくなった私はその場を離れることを決心。

隣のビルにある出発ゲートへ向かい、乗ってきた飛行機のエールフランスの人に助けを求めることにした。

 

事情を説明すると、

 

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まんまと同じようにお説教をくらった。

そしてさっきと同じようにミーティングポイントに(今度はエールフランスの)係員がやってくるから待っていなさい、と告げられた。

出た。またもや”ミーティングポイント”。

先ほどの例があったのでまったく信用ならないなぁと思っていると、

まるで私の心を見透かしたかのように「係員が来るまでそこを離れてはだめよ。」と忠告を受けた。

 

また隣のビルへ戻り、”Meeting Point”へ。

目の前にスタバがあったが、一瞬でも離れると係員と会えないような気がしてフラペチーノを諦めた。

 

いつ来るんだろう・・・そう思っていると、

 

 

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救世主のごとく現れたエールフランスのおばちゃんの後につづき、カードキーで何重もの扉を通りぬけると無事に到着ロビーに戻ることができた。

そのままスーツケースの案内所(Baggage Claimとかいう場所)まで連れていってもらい、彼女はキックボードに乗って颯爽と去って行った。

 

ここまで来るのになんて長い道のりだったんだろう・・・

すぐそこにあったのに・・・

 

自分のアホさ加減に落胆しながら書類に名前と滞在先の住所を書いて提出すると、

「君の名前がリストに載っている。君のスーツケースは今夜到着する。明日届けるから。」と淡々と言われた。

無事にあってよかった・・・という安心感と同時に今夜は一体どうしたらいいのよ!着替えもタオルもないじゃない!という文句が口から出そうになったが、この人にはまったく関係ないので引っ込めた。

 

空港にセブンイレブンがあったので今夜をしのぐための歯ブラシと歯磨き粉とシャンプーを購入。合計2000円の出費。

 

たっけーーーーーーーーーー!!!

デンマークの物価の高さを目の当たりにした瞬間だった。

 

さあ、電車に乗ろう。

もちろん事前予約した切符はもう使えないので再度切符を購入。

目的地のホルベックに行くにはコペンハーゲン中央駅で乗り換えなくてはいけない。

多分この電車だろうと乗車し、多分この駅だろうと降車すると

ちゃんとコペンハーゲン中央駅に着いていた。

 

コペンハーゲン中央駅にはそこらへんに係員が居てくれるのでありがたい。

しかも「DSB(デンマーク国鉄)」と書かれた赤いベストを着ているので大変わかりやすい。

早速係員のおばちゃんを見つけ、何番線に行ったらいいのか尋ねると、

 

 

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ここまで来てまだ辿り着けないっていうのか・・・。

駅のホームで寒さと疲労で意識が遠のきそうになっていると、

 

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ねぇ、完全にデンマークに嫌われてるよね・・?そう思うよね・・?

申し訳なさそうにしているスノーボードの持ち主のお兄さんにもそう訪ねたかった。

 

1時間後、電車が時間通りに来てくれたことが幸いだった。

電車から見える窓の外は真っ暗でなにも見えない。

学校に到着すべき18時はとっくに過ぎてきた。

 

1時間ほど電車に乗るとホルベックに着いた。

当初の予定ではバスに乗る予定だったが、そんな体力もなくタクシーを拾い学校へ。

電飾がちらちら輝くおとぎ話に出てきそうなかわいい玄関の前に横付けしてくれた。

 

 

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学校の中へ入り、人気が全くない校内をうろうろしていると

先生らしき人が出てきて「待っていたわよ〜〜〜!」と言いながら抱きついてきた。

状況がいまいち掴めないまま先生に手を引かれて向かった先の扉を開けると・・・

  

 

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願ってもいないアメリカのスクールドラマみたいな状況に戸惑いを隠せないまま

Kunst Højskolenでの私の寮生活は始まった。