●そうやすやすと月9のヒロインにはなれない
私はスロバキアのスケート場に来ていた。
ヨーロッパ→スケート→お洒落な休日という安易な思考が私をここへ導いたのだ。
異国のスケートリンクをすいすい滑っている、まるで月9ヒロインのような自分を想像した。
スケート場へ着くと、老若男女で溢れていた。
主に親子連れが多い。
例えるならば、週末のイオンのような光景である。
受付のおばちゃんとおじちゃんに英語が通じず困っていると、
うしろに並んでいたおねえさんが通訳を買って出てくれた。
チケット購入からスケート靴のレンタルまで面倒をみてくれ、
彼女のブロンドヘアーとふくよかな体型も相まってか、まるで女神のようだった。
突如として現れた女神に感謝しつつ、スケート靴に履き替えた。
履き替えている途中、嫌な予感がしていた。
予感はすぐに的中した。
氷の上にすら辿りついていないのに、二足歩行ができない。
そんな私を見て笑っている、
こっちでも笑っている、
子供も笑っている。
いつの間にかスロバキアの笑い者になっていた。
やっとの思いでスケートリンクに辿り着くも、
想像していたものとは遥かにかけ離れた姿がそこにあった。
ひーひー言いながら地道に進んでいると
すぐ隣をちびっこスケーターが私の何十倍もの速さで横切っていった。
■スロバキアで洗礼を受ける
その後、乗り継ぎ先のドバイ空港を汗だくになりながら駆け巡り、
クリスマスのせいかガラ空きの機内で、機内食を配膳してもらえないというフルシカトを受け、
苦難の空旅を終えた私は、デンマークではなくスロバキアに降り立っていた。
またしてもクリスマスのせいで、
街には人の姿がなかった。
バスの中で遭遇するも…
人らしさはなかった。
27日頃になると街はやっと人の気配を取り戻していた。
そんな中、住宅街を歩いていると…
庭先にいた、まるでホグワーツで賢者の石を守ってるような番犬がガチ吠えしてきたのだ。
スロバキア人には歩道を歩くという概念がないらしい。
平穏な住宅街かと思っていたのに、それからは一歩一歩びくびくしながら歩くはめになった。
▲飛行機あるある〜まとめて一挙掲載〜
さて、飛行機が1時間遅れると通告された私だが
運よくエポスカードがゴールドカードに切り替えられていたため
●飛行機あるある〜チェックイン編〜
ようやく出発の日を迎えた。
大量の荷物をなんとか押し込んで
私は万全の搭乗体制でチェックインカウンターへ向かった。
事前にスーツケースの重さを測っていたので
スムーズなチェックインができるだろうと自信があった。
ところがどっこい・・・
「機内に持ち込める手荷物は7kg未満の荷物1個だけとなっております。」
えぇぇぇぇえええええええええええええぇぇぇ
手荷物も計測されるのぉぉぉぉおおおおおおお
こちらの荒れた心情を無視して
受付のおねえさんは淡々とした笑顔で無茶振りをしてきた。
「現在、手荷物が合計で10kgあるので7kgまで減らし、ひとつにまとめてください。」
えぇぇぇぇえええええええええええええぇぇぇ
めんどくせぇぇぇええええええええぇぇえええ
あと3kgどうやって減らせばいいのよぉぉおお
そう声を出して叫びたかったが
このままではきっと飛行機に乗らせてくれないと思い、大人しく従うことにした。
私がチェックインカウンターの前でいそいそとスーツケースを広げようとすると
受付のおねえさんはまたしても淡々とした笑顔でそれを制止した。
おねえさんが指した先はほこりがたまっていそうな場所でした。
私はみすぼらしいほこりのような気持ちで荷造りをはじめた。
ときおり感じる道行く人々の視線は、できる限り無視した。
スーツケースに詰めこめるだけ詰めようと試みるが、、
閉まらない。
最終手段だ。
全部着た。
これから北欧へ行くというのを忘れてしまうほど
暑かった。
ボストンバックの中身は大分減り、
背負っていたリュックをその空いたスペースに押し込んだ。
そして、明らかに着膨れした姿で再びチェックインカウンターへ。
再測定の結果は−1kg。
ぜんぜん減ってない。
しかし、体型が変わった私の姿に見かねたのか
おねえさんは「ご協力ありがとうございました。」とだけ言って、
搭乗チケットを渡してくれた。
やっと飛行機に乗れる・・
これですべての事が済んだと思いきや、
おねえさんが今度は申し訳なさそうに言った。
「飛行機の出発が1時間遅れます。」
えぇぇぇぇえええええええええええええぇぇぇ
■出発までのあれこれ〜学校が決まらない〜
メールを開くと・・・
▲出発までのあれこれ〜いきさつ〜
以前は都会暮らしをしていた私。
その暮らしぶりは、師走とあわてんぼうのサンタクロースとサザエさんと平野レミがいっきに押し寄せてくるようなせわしなさでした。
そんな慌しさの中、私は着々と進化を遂げており…
【第1形態】
【第2形態】
【最終形態】
しばらくノーパン生活をつづけたものの、
病状は良くなることはなく、、
とうとう私の股は悲鳴をあげました。
股からの”SOS”を受けた私は、健康とゆとりのある生活を求めて
スローライフで有名な北欧へ行こうと思い立ったのでした。
しかし、本当に夢のようなスローライフは繰り広げられているのでしょうか・・
にわかには信じがたいです。
現実をこの目で確かめてこようと思います。